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塚口 明寿

神戸国際観光コンベンション協会所属。映画館の無い島で働いていますが、できるだけ映画館で映画を見たいと思っています。

①「みんなのアムステルダム国立美術館へ」

 国立美術館が10年の大改修を経て再開するまでのドキュメンタリーです。
 会議は踊る。討論、横槍、思いつき、妥協と失望と疲労。規模は違いますが、これは職場の日常、それだけに美術館の管理スタッフには共感を覚えました。よくこれで再開にこぎつけたと感心せずにおれません。
 最後は皆が笑っていましたが、この映画を見て記憶を呼び覚まされればどうでしょう?
 また、進まない改修のため、10年間利用できなかった美術ファンの視点も必要だったのでは?

 おまけ:一瞬だけ三宮が映ります。

②「小さき声のカノンー選択する人々」

 放射能に囲まれてしまった日常、そこで生活する人々の苦闘が描かれています。
映画の中で多くの数値が出てきます。放射能、原発からの距離、年数・・・。人々はとても敏感に数値に反応します。一方で、一つの数値に対する評価は立場によって大きく異なります。一水四見という言葉のとおりです。どの見方が正しいのか、はっきりするまでには時間がかかるのでしょう。
 映画ではチェルノブイリの事例が詳しく紹介されています。歴史は繰り返えすのでしょうか?気がかりです。

③「未来をなぞる 写真家 畠山直哉」

この映画の中心にあるのは疎外感ではないでしょうか。畠山氏は陸前高田市出身ですが、写真家として東京で暮らしています。
震災前の被写体は、出身地とほぼ無関係でした。畠山氏は出身地と自身の関係について、何も疑問を持っていなかったことでしょう。
それが震災によって大きく揺さぶられてしまいます。一転して彼は故郷を撮り始めます。故郷の人たちと語り始めます。
しかし、これまでの関係を一瞬で変えることはできません。一人の写真家ができることは限られています。
それでも、自らが作った距離を埋めようとして、彼が静かに奮闘するところに、私は希望を感じます。

④「メニルモンタン 2つの秋と3つの冬」

この映画では、登場人物が自身の心情や状況をその場で解説します。時にはレポーターのようにカメラに向かって話しかけることもあります。あたかも日記かホームビデオを見ているようです。
物語が複雑で補足が必要というわけではないので、製作者が特別な手法を試したかったのだろうと思います。
この直後に台詞が全くない「草原の実験」を観ました。両者を比べて映画が持つ表現方法の幅を感じました。
 

⑤「緑はよみがえる」

この作品は、サイトで紹介されている感想にあるように、美しい風景と残酷な戦争の対比に目が行きます。しかし、それ以上に印象に残ったのは大尉の振る舞いでした。
彼は自らの正義感に従い戦争から降りて後方へ送られました。その後彼の部隊は若い中尉と下士官の指揮下で大きな損害を出します。もし大尉がこれを知ったならばどう感じたでしょうか。極限状態で何を優先すべきか考えずにおれませんでした。

⑥「スタートライン」

 この映画は、聴覚に障害がある今村監督自身が、自転車で日本を縦断する旅のドキュメンタリーです。見事走破するのですが、旅の途中はうまく行かないことばかり記録されています。特に他者とのコミュニケーションは、残念ながら本人の当初の目標には届かなかったようです。しかし、その事実から目を逸らさないことが監督の長所なのだと感じました。今後も自身を鼓舞して挑戦していくのでしょう。

⑦「桜の樹の下」

 高齢化が進むとある団地が舞台のドキュメンタリーです。出演者は皆高齢者、現代の孤独が淡々と、延々と映し出されます。
静かな諦めの中で日々を送り、やがて亡くなっていく。ありのままで、それ故に薄ら寒く感じます。
「自分で申し込んで住み始めたにも関わらず、閉じ込められているような気がする。」確かそんなセリフだったと思いますが、
彼らの境遇を表す言葉が余りに的確で印象に残りました。

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